日本橋トリビア
歴史編
5

どうして日本橋は下町と呼ばれるのですか?

江戸の「江」とは「揚子江」のように大河を現します。
「戸」は文字通り出入り口を現します。
つまり「江戸」とは、古利根川や荒川、多摩川などの、河川と海辺が入り組んだ陸地と海岸線の区分も定かではない「大湿地帯の海際の場所」を現しています。
木と紙の生活文化だった当時の人達は、階級の差と防備の観点から、武士は高台の丘の上に住み、町人はジメジメとして湿気の多い海辺の土地に住みました。
江戸城の見える下の町なので城下町(しろしたまち)、江戸っ子特有の短縮言葉でいつしか「下町」と呼ばれるようになりました。
武士の住む丘の上は、いつしか「山の手」と呼ばれ現在に繋がっています。