日本橋トリビア
歴史編
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「日本橋」という橋の字は、最後の将軍徳川慶喜公が書いたものだそうですが、どうして負けた側のトップの字が国の中心の橋に書いてあるのですか?

歴史は、勝者が常に書き換えていくものです。
他国なら当然、勝った側の明治政府高官が字を残したはずですが、1911年に今の石橋を作る時に、時の東京市長の尾崎行雄が、「江戸から東京へ戦火を交えず無血開城できたのはひとえに屈辱に耐え、負けを認めて恭順姿勢を貫いた慶喜公のおかげである。いわば東京の一番の恩人にこそ揮毫願うべきである。」との強い意志と敬愛の念から、ここに慶喜公の字が残りました。